ゆえっちの彼岸回帰の冒頭と終わりに短歌を二首詠んだんだけど、詠み人自ら解釈述べるってのもどうなんだろうと思いつつ、まぁ今更だからこそ言えることもあるだろう、と思ったので、ここで軽く解説しておきますネ。
完売記念という意味合いも込めつつ。
とてもネタバレだけど、時期的にも大丈夫だろうということで。
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まず冒頭歌。
黄昏は
暮れて暗闇
意味問はれ
此方彼方に
何も見つからじ
(たそがれは
くれてくらやみ
いみとはれ
こなたかなたに
なもみつからじ)
「黄昏」はもと「誰ぞ彼」の意で、人の判別がつかなくなる時刻を差しました。それが黄に昏れる時刻だったので、「黄昏」という字が当てられるようになった、っていうのは、割と有名な話だよね。というわけで掛詞。
「暮れて」は、「日が暮れて」と「途方に暮れて」の掛詞。ついでに「紅」の音も意識して欲しいところ。
「意味」と「忌み」も、もちろん掛詞。
「此方彼方」は、「あちらこちら」っていう意味もあるし、「此岸」と「彼岸」のことでもあるし、あるいは「現在」と「過去」だったりもするかもしれない。
「何も見つからじ」は「名も見つからじ」と掛けてみた。「何」と「名」が掛詞。
意訳。
黄昏時、「あなたは誰か」と問われども、忌み嫌われた自分には、今も昔も、あの世にもこの世にも何も見出すことができなくて、ただただ途方に暮れ、日も暮れた無名の塚よ
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続いて、奥付に寄せた歌。
さ在りし日
いつぞ忘れ家
帰らざらん
迷ふる身をば
川に流すかな
(さありしひ
いつぞわすれが
かえらざらん
まよふるみをば
かにながすかな)
「さ在りし」は「去りし」との掛詞。「さ在りし日」はかつての自分、「去りし日」は過ぎ去った過去、どちらもだいたい同義。
「忘れ家」は「忘れ我」との掛詞。
「帰らざらん」はもちろん、「還らざらん」との掛詞。
「川」は「過」との掛詞。
意訳。
過ぎ去った日々、まだ自分が悩み迷っていた日々
それでもいつか、忘れていた自分自身を取り戻すときが来るだろう
そしていつか、忘れていた自分の居場所へ帰ろう
悩み迷う身を、川に流すように、過去へと流し去って
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さて、ここには書きませんが、まだもう一つ仕掛けがあります。
勘の鋭い人はここでもう気付いていることでしょう。
が、一応。
ヒントは、「かきつばた」の歌。
ここまで来れば簡単だよね。
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で、ここまで独断でやった!(駄
いや、もったいなくてさ……。何か問題あったら消しま。